昨日はちょっとした事件がありました。
誰が悪いとか、そういう話ではなくて、その事件を通じて考えることがありました。
パークの前の道路で子供がスケート乗っていた所に、勢い良く車が走って来て、もう少しでぶつかるところでした。
確かにこどもが道路で遊ぶのは危ない事だけど、走ってくる車も近所の方で、パークに子供達が沢山いるというのは知っている事です。
っでスゴい勢いで急ブレーキ。
確かに文句もいえる状況でないのはわかります。
でも、子供がいるという事が確実に予知できる環境でスピードを出してくるというのも...考えものです。
子供達が道路でスケートするすがたは、肯定は出来ないけど、昔のカンケリや、ロウ石を使って道路に落書きをして遊んだ姿を思い出してしまうのは僕だけなのか?
ダメだ!ダメだと言ってしまって抑制してしまって、外で遊ばなくなってしまう事は、しまいには近所無関心の環境を作ってしまう事につながるような気もする。
どうして、もうちょっと寛大な心になれないの?? というのが僕個人の意見。
「しつけ」ではなく「罵声」を浴びせる事から生まれる事はその人の人格の小ささを大声で発表しているようなもの。
個人が発した「罵声」はその人が勤める会社の姿となってしまう。
子供達が地域にいる環境がどれだけすばらしいものなのか....それを考えてみる余裕が心の隙間にほんの少しでもあれば、 歯車がキレイに回りだすような気がする。
時間がたって、気がついてみると、その人に対する嫌悪感と起こった事件にたいするむなしさしか残らない。
なんて、悲しい事だろう。 って思ってしまう。
慈悲寛大になり、自己反省をすることは生きていく上で大切なこと。
ひとのふりみて....ということわざではないけど、
自分の事を棚に上げて他を攻める事もしないけど、、
広い意味で「やさしさ」の気持ちがあれば解決できる事だと思うんだけど....
この問題定義も子供達が投げかけてくれた事。
僕たち大人はエゴを通さず、話し合って今ようやく出来つつあるこの環境を良い方向で前に進めていく必要があると思う。
そのためには、みんなの力が必要だってことをわかってもらいたい。
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ちょっとした気持ちの譲り合い
無くなってほしくないですね。。
運転も我先にと、走る車が増えた為か
最近、細い道でも信号が出来、
右折信号が設置される。
気持ちの余裕。。持ちたいですね。